優れた投機家の資質。2017年開始仮想通貨投機ふりかえり。

2019/08/24

ネタ

t f B! P L
やあ、キレたKだ。
ヒマだからポエム書くわ。
「優れた投機家の資質」とか
「2017年開始仮想通貨投機ふりかえり」とか
雑談はさみながら。

■優れた投機家の資質

優れた投機家のもつ資質の1つは、己を例外としない事。
多数派は自分及び自分のもつポジションを例外とする。
それはフツーで甘い。
私はたとえ自分の事でも「無能」と思えば容赦なく切る。
「ダメなヤツは解雇する」という言葉に自分も例外なく含まれる。
それが客観的にモノが見れているか否かの判断基準となる。
無論、なんでも切ればいいという事ではない。
芽のあるモノは継続した方がよい。
それは「無能」でなく「未熟」、あるいは「小さく優れている」。
愚者はコレを無能と混同する。
それは小さな「兆し」のようなものでも、小さな数値の変化であっても、
継続すればやがて時代や未来を変える大きな流れになるかもしれない。

また、ある面では無能でも、別の面では有能かもしれない。
解雇にネガティブなイメージをもつ人が多いっぽいのは、
自己の全否定「自分はダメ人間」
と勘違いする愚かさから生じるのではないかと思う。
「そこで必要な能力が不足だった」であり、
別の場所で有用な能力をもっているかもしれない。
ただまあ、そこを勘違いしている時点で賢くはない。
また、多数派の仕事は基本的に
多くの人ができる似たような仕事ばかりなので、
できないヤツは他でも適合できない、
社会不適合者的なカンジにはなるかもしれない。

世に多くある仕事は当たり前だが多数派の仕事で
多数派の仕事ができるという事は大体の仕事に適合できるという事。
多数派適合能力が低くても多数派の仕事をやっていくのか、
適合しない場合は多数派とは大きく異なる少数派の仕事をするのか。
逆に少数派の仕事しかできないヤツもいるだろうし、
どちらもできるヤツもいるだろう。
まあ、誰にもできない仕事をする能力があるなら
それをやる方が単価が高い。

労働対価も需給できまる。
大変でも誰でもできる仕事は単価安い。
楽でもその人にしかできない仕事は単価高い。

「私は客観的にモノをみれている」言うのは簡単だ。
だが、己が無能であることを客観的数値から認識すること。
そして、無能であることを認識したら、たとえ己であっても容赦なく切ること。
これを、行動として実行すること。
これができない者は数値で客観的に判断し実行に移す事も甘くなる。

切れないと、全体が腐って落ちる。
切れば生き残る。
切る事が悪いのではない。
切って再配置、全体最適化すること、そのサポートが
当然となっていない社会に問題がある。その根本には
一生懸命勉強して学を修めた順に年収高く配置する社会。
「努力が報われる」事を目指した社会。というのがある。
その志自体は否定されるものではないが、
教育の方向性があまりにも時代からズレすぎた。
事ここに至っては、年収数百万稼ぐ小学生youtuberまで現れている。

Youtuberとかは、一部の例外、ひずみ。
本当にそうだろうか。これが主流となる可能性は。

ホームレスは信用もちか…。
いや、多くの人の手伝いして信用を集め、
クラウドファンディングでおカネに両替する人の話ね。
これは極端にひずみが過ぎるが…。

投機家はスキルもちやな。
能力を市場でおカネに両替する。
ただ「いつでも」はできないし、
マイナスもありえるからその点、
不安定といえるかもしれない。

昔から社会の歪はあった。
時代の流れがはやく大きく変化する中で、
それがより大きくなり、
よりよく見える形で噴出している、という事。

稼ぐために学ぶ?何を?誰から?
稼げていない教師から何を学ぶの?
学校教育で学ぶことと稼ぐ力との関係は薄まり、
稼ぐために学ぶことは学校教育外に存在する割合が絶賛増加中、という事。

稼げる人になるために教育があって、
ゴールに大企業高給終身雇用があったが、
その仕組みが壊れてきているのに、
従来の学校教育にガッツリおカネを投じて
画一的な社畜をつくっても投資回収できない。
という当然の事を理解していないの、ヤヴァイと思う。

社会に教育資金回収する仕組みがある⇒高学歴取得にカネかける⇒わかる。
仕組み壊れる見込み⇒高学歴取得にカネかける⇒?

学校教育が生存戦略として完全にダメだ、とまではいわない。
おカネをかけずに大卒資格を取るならコスパもよかろう。
念のため、過渡期の保険、みたいな。
私は大卒資格は取れるなら、おカネをかけずに取るものだと思っている。

■有能は働けばいいと思うよ

そもそも「毎日情報発信をする」というのは、
「利益うまない意味ない場合」でも9時5時勤務時間を守る
社畜思考の延長でしかない。
そこが逆。事業家と投機家の違い。
社畜より少しだけ賢い、世界の社畜。規模が大きくなっただけ。
そして1点でも逆性あれば投機で勝てない。180度変わるから。
投機家として勝つには、投機的資質を全面展開するか、
逆性部分か、人格まるごとか知らんがデュアルに切り替える必要がある。
これができなければ、事業家が投機で勝つのは難しい。
ただ、毎日情報発信して利益をうんでいるなら、
その成功法則は捨てられない。
だから多くはそれに引きずられて負ける。
でも、それでよくないか?なんの不満がある?
労働で利益はでているのだろう。
故に、有能は働けばいいと思っている。

適性がなければ切り替えられないし、
切り替えられなければ腐る。有能さも失われる。
「絶対」とは言わない。例外もいるだろう。

他に投機家に必要な資質とは、
自分のもっているアンパンを適切なタイミングでわけてあげる事。
毎日アンパンをわけることでも、
不要なタイミングでわけることでもない。
おなかがすいているのをみて、わけてあげること。

そんなに難しい事は言っていないと思う。
見返りを求めず、困っているヒトを助けると。
ヒトとして正しく、当然の事を言っている。
だがね、これを論理的に正しく実行できるのは、
残念ながら少数派なのだよ。
賢明な聖人というのは、少数派。
資産を増やそうとか、おカネもちになろうとか。

浅い。

自分がわけたいタイミングでわけるのは、おごりだと思わないか?
おごることがダメという訳ではない。
おごっていなければ起業などしないだろうから。
方向性の違い、というヤツだ。
自分に余裕があるかないかは無関係。
故に、投機家は常に余裕を持てるよう努める。特に心。

無論、投機家も日々の確認を怠っていい、という事ではない。
ただ、どの時間軸で戦うかを考える。
長い時間軸を選ぶなら、1日1回確認すれば十分。
理想は前場最初をみること。
理由は単純に判断を下す時間余裕を長くとれるから。
まあ、寝てることもあるけど。これは単純に惰性。
睡眠不足で判断誤るよりはいいと思うが。

■2017~2019仮想通貨投機振り返り

2017年度は
半年社畜、残り半年は
会社を辞めてダラダラ投機判断を下していただけだが、
半分社畜労働していない、ラスト社畜のその年が、
私の10年間の社畜生活での最高年収となった。
これは事実だ。
無論、たまたま、運がよかっただけだ。
仮想通貨バブルにのれるとは思ってもみなかった。

会社を辞めたその年に社畜年収を超えるとは
さすがに思わなかった。
「辞めたその年に社畜年収こえる!!」とか、
想定する計画として、傲慢すぎるだろう。

まあその後2018年で
2017年に得た利益の半分を吹き飛ばし、
2019年はダラダラしている。

2017年末に国税庁の仮想通貨課税方法情報展開あり、
仮想通貨同士の差益も課税対象と示された。
私は仮想通貨をUSDTとも交換してたからそれも課税対象。
それで、「納税で計算間違いあってもアレだし」というのと、
どちらにせよ円で納税する必要があるという理由で、
12月末時点で全ての仮想通貨を円にかえた。

そして、2018年は2017年のように簡単には儲からないと踏んで
投資資金を半分にした。
半分でなく、1桁減らすべきだったな。
もしくは休むか、もしくは
「下落相場でも現物の買いで利益をあげれば、
それは難しい相場でトレードスキル向上になるのでは」
という誤った考えでなければ、と思う。
失敗から得た学び、教訓か。
流れがわかるなら、流れにそった戦い方をするのが、おそらく正しい。
わざわざ難易度の高いモノを選ぶのは、愚者のすること。
2017年に利益がでて、ゲーム感覚で、
つい、ハードモードを選択してみたくなった、みたいな。

身銭を削って得た教訓なので価値があるかもしれない。
若いころに少額で損失を出し失敗することには価値がある。
人生の残り時間が長いという事は、取り返せる機会が多いという事。
扱う金額が少額という事は、取り返せる難易度が小さいという事。
場合によっては取り返す必要もなく、別の道を選択する判断材料になるかもしれない。

これは真実だが、主観の話なのでバイアスがかかっているかもしれない。
2019年は反省して少額でダラダラしている。
利益はでている。少額のリスクテイクに留めている。
額を言わないのは、まあ、言うほど大した額でもないという事。
不調で謙虚さがいくらか損なわれなければ、と2018年を振り返るが、
それがその時その時にできる事の最高値で、
できる事しかヒトはできない。
できる事を増やし、可能性を広げること。
できる事をよりできるよう、深化すること。
3次元的に体積を増やし、
4次元に突入するように動くことが、肝要である。
9次元とか12次元とか盛り過ぎで草。

まあ、少なくとも
9時5時にデスクに座る事が
投機で勝つコツでない事は確かだ。

■まあとにかく、

多くのヒトは口先だけのポジショントークだ。
偉そうな事を言っているが
「アナタは自分を切れるのか」といつも思う。
自分が無能であることを認め、
自分を解雇する謙虚さを持っているのか、と。

自分の能力の低さにバイアスをかけ、不平等に甘く扱う。
それが「バカより少しだけ賢いバカ」の限界で、
投機において多数派敗因となる思考の1つと思っている。
投機はウソつきを嫌う。狂気を好む。
しらんけど。
狂気に浸かって持ち帰ってきた思考。
これをまともな私が使う。

私がみる夢は現実と遜色ないレヴェルではっきりしている。
それがフツーかな。
そして、目が覚めても夢で見た内容をおぼえている。

「うるせぇ、とっととアフリカに帰れ。
この嘘つき黒人が。
ああ、黒人って表現は失礼だったか。
黒人の方に」

上記は私の夢にでてきたセリフだ。
意味がわからないだろう。
私も意味が全くわからない。
少なくとも私とはまったく関係ない。
別に私が言ったわけでも、言われたわけでもない。
いや、私が言ったのかな。よくおぼえていない。
「おぼえているのか、おぼえていないのか」
矛盾しているって?否。
起床時はハッキリおぼえている、それをメモしている。
その後忘れる、という事だ。
「いつ」か。時間軸で物事は変化する。
矛盾を感じるのは、時間時代変化考慮が抜け落ちているから。

忘れてしまう事柄の全てが重要でない、という事はない。
何事も例外はあるので。
メモをとったり、煮詰めるのもいい。
あふれ出るモノは才能で、むしろ切っていかねばヤヴァイ。
病気だと思う。
自分から切り離して、作品とする、って意味ね。
それが社会にとって価値があり、有用ならいいのだがね。

なにが言いたいかといえば、
使えるものはなんでも使えばいいと。
夢で見た言葉。
狂気から持ち帰った狂人の思考。
統合失調、精神分裂。
それを投機でおおいに使う。

刀はぬかなければこそ価値がある。
切り札は切らなければこそ価値がある。
使う時点で己の未熟さを自覚する。

神がいるとすれば、それは私の頭の中に住んでいる。
だから、だれも見つけることができないのだ。
…まあ、大体ウソだがな。
以上、ポエムだ。

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