今必要な知識を学ぶこと以外は道楽

2019/05/31

ネタ

t f B! P L
ITは、ソフトは、さわればその重要性は理解できたはず。
さわってハード重視の判断を下したならまだいい。
さわりもせずにハードが優れていると盲信するなど
驕り、惰性。単に不勉強で学びたくない。
怠けたいだけのク〇である。
「必要だ」「使う」だから学ぶ。
人生は勉強で、学習に終わりはない。

今使わないことを学ぶのは、
学ばないよりましというだけで、
「学ばない自分より下の人」をつくって
安心したいだけの道楽である。
悪手であることを自覚しているならいいが、
自覚しながら悪手をうつのは偽りでごまかしである。
最大の懸念は、偶然によりすぎている事。
そして使わないモノは忘れる。
最高の技術は実戦で磨きがかかるもの。

忘れても少し勉強すれば思い出すのかもしれない。
だが、必要な時に知識を得れば、
その少しの時間をかける必要もない。
「衰えてから学んだのでは時間がかかる」
という欠点はあるが。
今使うものを今学べばそれはほぼ全部即時活かされる。
効率を考えるとやはり
今使わないモノをまなぶは悪手である。

■必要な知識を必要なタイミングで頭に入れること。
これにはなにがしたいのか、
なにが必要か明確でなければならない。
スポンジみたいな頭でふわっと考えるのではなく
具体的に、地に足の着いた形で考える。
■不要な知識は忘れてもいい状態とすること。
ヤフーカレンダーに登録してリマインダーで
メールがくるようにしておくとか。
具体的に、地に足の着いた形にする。

学ぶことそれ自体にムダがある人というのは
一体なにを学んでいるのだろうか。
より本質的で、根本的な問題から目をそらしているのだろうか。
「学ぶ」というのは毎日やること。
毎日やることを定期的に見直して
その手法をグレードアップしていく事は
トータルの時間でみて大きなムダ削減が期待できる。
これを能力として学び、長けるのがよい。

これが基礎、根底、根本であり、
これができていない者は回転が遅く、
専心して積み重ねても
回転のはやい者には到底及ぶべくもないのである。
だからダメだという事ではなく、
専心して時間をかけ、基礎を見直し回転率をあげれば
1つくらいはモノになるだろうと。

まあ、自分、個々人の、人ひとりの小さな能力の上下よりも
時代の変化。環境の選択。需要のある市場への突入の方が重要なのだがな。
その環境選択も人の能力に結局は帰結するものである、と。

「今必要な知識を学ぶこと以外は道楽」とタイトルをつけたが、どーもね。
偶然によるからなにも考えなくていい、みたいな。
惰性からくる思考停止というか、怠けるための免罪符というか。
成功法則から遠いムダ知識の学びに大きな時間を投入する教育、学習、勉強に戦慄する。
乖離して、それを認めず、改めず、自ら進んでゴミのような人間になっていく。
狂っているなと。悪い意味で。私以外の全てが。
まあもちろんすべてではないが、ここはあえてすべてといいたい。

天才は相互に作用しそうなものを肌感覚で選ぶものだから。
そこに罠があるというか。
コイツなにも考えてないだけやろ。
ってしか思わないというか。
まあ、ボクの人生じゃないから
どうこう言うのも筋違いだろうなとは思うけどね。

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機械メーカー総合職正社員10年勤務後退職。 エクセルVBAプログラム歴 5年。 LibreOffice(無料)でVBAマクロ検証。
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